~事故の悲惨さ~
こんにちは、ソラです
昨日は、リーガルハイが最終回だったんですが録画していたのでまた暇な時に見たいと思います
1年もあとわずがですが、宮崎の方は死亡事故が去年と比べてかなり多くなってます
ハンドル握ったら、運転者の自覚を忘れないよう気を引き締めましょう
さて、今回は事故の怖さを知ってもらうためにこの話を紹介させていただきます
24年前父は交通事故で亡くなりました。 私が中学2年生、スキー教室の前日でした。あの事故以来、スキーは1度もしていません。 父には、何ひとつ落ち度はありませんでした。 酒酔い運転の車に衝突され、運転席に閉じ込められました。事故直後はまだ意識があったそうです。事故現場は交番の近くで、病院へ5分とかからない距離でしたが、救出に時間がかかり、随分時間が経過してから、病院へ搬送されたそうです。 救急隊からの突然の連絡に、母は倒れました。そして、時間ばかりが過ぎて行きました。 父の最期には、間に合いませんでした。 眠っているとしか思えないほど、きれいな顔でした。私には、父とは思えませんでした。 14歳の私には、死という意味が理解できませんでした。 「病院に着いたときは、瀕死の状態ですぐに心臓が止まりました。電気ショックを1回、2回、それから胸をひらいて心臓を直接マッサージしました。力は尽くしました。」医師は、私を真っ直ぐ見ることができず、こわばった顔で説明しました。家族が到着するまではと、その医師は、ずっと心臓マッサージを続けたそうです。 母は泣き崩れ、私は頭の中が真っ白になって、何を聞いても何も感じなくなりました。 救出には、警察、救急隊などたくさんの方が、懸命に救助にあたられたと聞きました。 でも、あの時の私には、すべて『言い訳』としか聞こえませんでした。 あれから24年経ちました。 私自身、理不尽な交通事故に遭いました。停車中の私の車に、携帯電話中の車が追突してきたのです。頸椎捻挫ですみましたが、痛みとともに割り切れない気持ちでいっぱいでした。いろいろ考えているうちに、忘れていたことを思い出しました。ずっと気が付かなかった、あの時の父の気持ちが、わかるようになりました。 事故後の検証でわかったことですが、父が衝突される寸前、事故を避けようとしてハンドルを精一杯切った跡があったことを思い出しました。生きていたいと願っていたと思います。あの時、妻と幼い子供達を残して、理不尽な最期を迎えなければならなかった父こそ、本当は1番つらかったのだと、やっとわかるようになりました。 年を重ねると、今までわからなかったことが、少しずつわかってくるような気がします。今は、父の最期の気持ちを理解することができて、良かったと思います。理不尽な事故でしたが、警察、救急隊、医師、看護婦さん、多くの方に最善を尽くしていただいたことは、父にとって救いだと思います。心から感謝したいと思います。 もしかしたら、都合のいいようにフィードバックしているのかもしれません。でも、これが残された者にとっての現実です。 私は、事故後、普通救急の講習を受講しました。最近では、携帯電話で、心肺蘇生法などの救急医療措置が、図入りで見られるホームページも作成されています。1人でも多くの方を、救命できればいいと思います。 被害者でなければわからない、つらく割り切れない気持ちを、多くの方に知っていただきたいと思います。 交通事故の被害に遭われた方、後遺症で苦しんでいる方、たくさんのつらい立場の方も負けないでほしいと思います。 そして、私達のようなつらい思いをする人が、いなくなってほしいと願っています。
一つでも事故が無くなることを祈りたいと思います